岩谷堂箪笥の起源は、平泉が栄えていた頃の康和年間(西暦1100年代)、藤原清衡が産業奨励に力を注いだ時代にさかのぼると伝えられております。
もっとも当時は現在のような箪笥ではなく、長持ちの箱のような大型の箱のようなものだったと考えております。
その後、天明時代(西暦1780年代)に岩谷堂城主、岩城村将が米だけに頼る経済から脱皮しようと、家臣の三品茂左衛門に命じて箪笥の製作、塗装の研究、車付きの箪笥を作らせ、喜兵衛、大吉の二人が鍛治職となり、更に文政年間(西暦1820年代前後)には、徳兵衛という鍛治職人が彫金金具を考案しました。
これが原型となり、岩谷堂箪笥の技術が現代に引き継がれているのです。
明治時代になると箪笥もようやく一般家庭に広まり、それと共に岩谷堂箪笥の需要も増大しました。
漆塗りと飾り金具の美しい岩谷堂箪笥は評判となり、北上川の下川原港から下がって宮城県北に、更に東北各地へと岩谷堂箪笥が出荷されていきました。
昭和に入り、30年代には一時期、岩谷堂箪笥の生産が低迷しましたが、時代に流されることなく伝統の技術を守ることこそが発展の道と確信し、苦しい時代を乗り越えて40年代初めに首都圏を中心とする都市生活者へと需要が広がっていきました。
昭和57年には、当時の経済産業省である通産省の厳しい審査をうけて、晴れて通産大臣指定伝統的工芸品(現:経済産業大臣指定伝統的工芸品)の指定を受けるに至りました。
現代ではこの伝統を生かし、現代風岩谷堂箪笥として多くの方にご使用いただいております。